[本文2023]【本年、八重山島崎枝村の加弥石垣を褒嘉して赤冠を賞賜す。】八重山島仲間村は、上届子年、饑饉頻りに臻り、疫癘流行して、斃死甚だ多く、現に版図に存する者、僅かに六名有るのみ。有る所の猪柵、修葺する能はず。栽うる所の芋蔓、山猪の為に害はれ、村中の田畝も、亦強半抛荒して耕耘するを獲ず、正に展転の境に在り。幸に本島崎枝村の加弥石垣有りて、世持を充授し村筑を兼任するや、凡事心を留めて照料し、村民を引誘ひて猪柵を修葺するの時は、神酒中壷両個を給して、以て鼓舞を示し、既に修するの後は、一身の力を以て之れが保護を為し、一たび小破すること有るに逢へば、即ち修葺を行ふ。時に厥の後より栽うる所の番薯、全く山猪の害を免れ、民、エムの憂無し。今、一夫を以て産米二千束の田を受けて以て耕種を為す。又去年、棉花茂らずして以て公布を調辧し難し。該石垣、綿布一端を調備して以て公布の補と為す。又其の家畜牛二口を、農時に逢ふ毎に、村民の牛無き者に借給し、田畝を耕するをWけ、其の資を領めず。又仲間村の後頭に架す所の石橋、暴風に吹き壊され、往還便ならず。更に兼ぬるに其のAの近辺に、素、産米六千束の田有り。其のA崩壊以来、往還通ぜず、不毛の地に置く。該石垣、附近各村の版図に登らざるの小民曁び廬居者を雇ひ来り、神酒中壷三個・番薯・塩魚等の件を給発して、其のAを重修せしむ。時に厥の後より人、往還の便を得、抛つ所の田畝も、亦耕種するを得、甚だ利益を村中に貽す。是れに由りて朝廷、赤冠を賞賜して以て褒典を示す。