[本文2035]【本年、久米具志川郡の地頭代上江洲親雲上曁び人民十八名を褒嘉して、或いは中布を給し或いは爵位を賜ふ。】具志川郡仲村渠・具志川・仲地・山里の四村、原、産米二百石余の田有り。小旱に逢ふと雖も、水涸乾に就き、栽うる所の禾稲尽く枯槁を致し、貢を欠き賦を滞りて、百姓苦疲す。嘉慶四年、詳して山内原の川辺に於て、堤井を鑿開するを蒙るも、奈んせん村民苦疲するに因り、力の鑿開する無く、遂に挨延を致す。前年に至り、幸に在番曁び諸事を督理するの各役、其の由を聞知する有り。地頭代上江洲親雲上に着令し、人民十八名を率同して共に心力を合せ堤井を鑿開せしむ。長さ十三間・横七間・高さ一丈九尺余。時に厥の後より田水優に足り、旱魃に逢ふと雖も、尚涸裂すること無く、永く利益と為る等の由、在番曁び其の筆者・各員役等僉呈し、両総司印結を加具して朝廷に禀明す。是れに由りて上江洲・亡亀王城の二名を賞して各中布二端を賜ひ、其の人民を賞して各爵位を賜ひて、以て褒典を示す。