[本文2079]【本年九月二十一日、亜米理幹国商船一隻の運天港に到来する有り。】此の日、異国船一隻有りて、運天港に到来し、抛錠停泊す。二十三日に至り、首里通事を遣はして其の来歴を問はしむ。称に拠れば、亜米理幹国商船に係り、通船共に四十三名有り(内一名は頭目の妻、二名は女子)。洋中颶に遇ひ貴国に漂到す。今、三四日間、本地に逗留して柴薪を買ひ求め、転じて那覇に到り、米糖を収買し、香港に前み赴かんとす等語と。即ち辞して曰く、弊国は土地狭陋、産する所の米糖稀少にして発売する得ず。食用に至りては、猶調弁すべきがごとしと。二十四日に至り、該船頭目の駅亭に来到する有り。首里通事に告げて曰く、坐す所の船隻、多く傷損有り。乞ふ、工を雇ひて修葺するを准せと。又辞して曰く、敝国の匠人は才短巧少なれば、修葺する能はずと。該頭目之れを諾して曰く、船上載する所の等の物は、現に上iする有り。乞ふ、五百包を将て暫く駅中に搬寄し、再び来りて交収するを准せと。即ち之れを辞して曰く、本地は屡々回禄の災有り、以て応允し難しと。該頭目又曰く、貴国憂ふる所は只回禄の災に在り。今の価を估するに、毎一包洋銀二十円なり。若し之れをしてi爛せしむること有れば、甚だ望む所を失ふ。乞ふ、早く杉板船を撥して卸来し駅に寄るを准せ。若し允准を蒙らば、必ず応に四箇月を待ちて後、火輪船を遣撥して交収すべしと。再三之れを辞するも、尚聴従せず。乃ち已むを得ず此の日より十月初三日に至るまで、杉板船を遣撥し、三百五十包を卸運して駅庫に蔵置し、該船頭目をして印封せしめ、而して又首里通事等、票を給して照と為す。又該頭目、米七十z・糖百zを請求す。此れ吃食の用に係り、数も亦少しと為す。辞却するに便ならず。大米は数に照して発給し、黒糖は只三十zを給す。該頭目曰く、黒糖は用に堪えず。乞ふ、白糖若干を給せよと。即ち辞して曰く、弊国、素、白糖の産無しと。該頭目、黒糖を将て交還す。更に洋銀八十一円を発して、物件の価銀及び夫銭に抵償す。初六日に至り開船して回り去る。