[本文2087]【本年、大里郡稲嶺村の新垣筑登之親雲上を褒嘉して爵位并びに布疋を賜ひ、西原・仲程・与那原・稲嶺・目取真の各村人等九名を褒嘉して各布疋を賜ふ。】大里郡稲嶺村の新垣筑登之親雲上は、本村の貢賦を挽欠するの時に逢ふ毎に、銅銭を発借して以て其の欠を補ふ。其の数を総計するに、正に三万八千二百八十五貫七百文に及ぶ。上届辰年、其の借票を将て本村に支給して以て償還を免ず。但に此れのみならず、亦自己所有の荘契を典して銅銭を借領し、以て身を鬻ぐの村民を贖回するの計を為す。又、該村嶺井筑登之親雲上、曾て銅銭五百貫文を将て本村に借給し、後其の借票を給して以て償還を免ず。至若、上届辰年、又復、給するに銅銭二千五百貫文を以てす。又該村新垣筑登之、曾て銅銭三千貫文を発して本村に借給し、上届辰年に至りて借票を支給し、其の償還を免ず。又該村大城筑登之も、亦銅銭二千貫文を発して本村に借給し、後其の借票を給して以て償還を免ず。又西原村稲福筑登之親雲上、曾て祖親の世代に在りて、銅銭一万貫文を動発し、永く百姓授くる所の地畝を買ひ、視ること自己の荘田の如くす。上届辰年に至り、其の地畝を将て、本村に交還して以て其の券を焼く。但に此れのみならず、銅銭七千貫余文を将て、本村に借給して利息を納めず、甚だ村中の益と為る。又仲程村の人民、負ふ所の私債少からず、而して身を鬻ぐの人丁も亦多く、已に憔悴に及ぶ。本村外間筑登之親雲上、其の情状を見て、前年、銅銭五千貫文を発給し、与那嶺筑登之親雲上も銅銭二千五百貫文を給して、以て債を償ひ人を贖ふの需に備へしむ。乃ち其の需、別に備ふるに因り、該両人給する所の銅銭を将て充てて義銭と為し、以て生財の計を為す。又該村又吉筑登之親雲上、本村欠貢の時に当り、銅銭二千貫文を発借して、以て其の欠をWけ、前年に至りて借票を交還して以て償還を免ず。又与那原村の上原筑登之親雲上、曾て先祖の世代に在りて、百姓授くる所の山に沿ふの地畝租米二斗九升一合六夕七才起の区を択察し、買ふに価銭千百貫文を以てし、以て築墓の計を為す。上届辰年に至り、其の地畝を将て、本村に交還して以て其の券を焼く。又目取真村の大城筑登之親雲上、上届巳年、銅銭一千貫文を将て本村に発給し、以て身を鬻ぐの人丁を贖はしむ。該新垣等、各皆村の為に益を貽す。伏して乞ふ、褒賞を酌賜せよ等の由、該郡酋長等僉呈し、検者・下知役・両総司・田地奉行等印結を加具して朝廷に禀明す。是れに由りて新垣を賞して勢頭座敷位并びに中布三端を賜ひ、稲福・外間の二名を賞して各中布三端を賜ひ、与那嶺・上原・嶺井・新垣の四名を賞して各中布二端を賜ひ、大城・又吉・大城の三名を賞して各白木綿布二端を賜ひて、以て褒典を示す。