[本文2100]【十四年辛酉、知念郡人民十八名を褒嘉して爵位を賞賜す。】知念郡志喜屋村北辺に、原、一井有り。泉強くして水大。村民皆汲みて以て用を為す。但に此れのみならず、其の附近に素、産米二石起の田有り。其の下面より岩石長さ二十一間・横三尺許りを}除し、水道を決排して、其の水を産米三石五斗七升起の田に注入して、以て耕種を為さんとするも、奈んせん該井已に損壊に及び、泉水横流して、小旱に遇ふと雖も、担に該田の水涸れ苗枯るるのみならず、而も用水に至るも亦敷かざるに苦しむ。経に該井と二間許りを隔離して、岩石を}除して泉水を掘り得たりと雖も、而も其の水走りて他方に漏れ、有る所の産米三石五斗七升起の水田、以て注水し難く、遂に改めて乾田と為し、以て耕種を施す。而して該産米二石起の田に至りても、亦涸乾し易し。意謂へらく、該新掘の泉口より岩石長さ七間・横三間許りを}除して井川を堀墾し、加ふるに三合泥を以てすれば、則ち担に該産米二石起の田涸乾に就かざるのみならず、該産米三石五斗七升起の乾田を以て仍水田と為すと雖も、水常に満ち足りて以て耕耘の便を為さんと。乃ち其の費を計るに、共に銅銭一万八千三十八貫文に及ぶ。奈んせん百姓困疲して既にu銭の力無く、復告貸の計無く、進退維れ谷まる。幸に知念村の人民七名・知名村の人民一名・安座真村の人民三名・前城村の人民五名・志喜屋村の人民二名有りて、同心恊力、自ら資財を捐して堅く該井を築く。時に厥の後より泉水漏らず。担に該産米二石起の田乾涸に就かざるのみならず、而も該産米三石五斗七升起の乾田に至りても、仍水田と為して水常に満ち足り、以て耕耘の便を為す。更に兼ぬるに一村の人民、亦皆汲みて以て用を為し、益を貽すこと小からず。伏して乞ふ、褒賞を酌賜せよ等の由、該村耕作当・頭目・掟等僉呈し、地頭・酋長・検者・下知役・総司・聞得大君御殿大親・田地奉行等印結を加具して朝廷に禀明す。是れに由りて各爵位を賜ひて以て褒典を示す。