[本文2130]【本年、八重山島白保村の平田筑登之・平得村の慶田盛仁屋・仲間村の石垣仁屋・与那国村の宮良仁屋・同村の喜佐麻宮良等五名を褒嘉して各爵位を賜ふ。】八重山島白保村の平田筑登之は、上届巳年、充てて盛山村世持職と為り、任に居るの間、善く役務を弁じ頻りに農業を励まし、村民をして貢賦を完納せしむ。且滞る所の貢賦を納むること多く、而して村中貯穀の計を為す。且盛山村は、上届巳年、其の与人・目差両人皆任職を退き、其の受くる所の采地を将て村中に交返す。其の内産米三千束の地は已に荒蕪と為る。該平田、克く指揮を行ひて以て耕耘を為す。之れに兼ぬるに自己蓄す所の耕牛十口を将て村中に借給し、以て耕耘の便と為し、約八日の間資を受くるを肯んぜず。且該村、墓墳已に破れて屍骨暴散すること有るに因り、乃ち其の骨を合せ集め併びに万霊塔を設立するの時、該平田より以て其の妻子に至るまで、共に其処に到り、民を励まし力を尽くして妥らかに埋葬を為さしむ。且神酒・焼酒を発給して村民を振励し、広く猪柵を築き新に地畝を墾せしむ。且該村、人家破に就くに因り、吏役等、漸く改造を行はしむ。該平田、其の令に凛遵し、村民を勧励して家屋六軒を改造す。而して各大米三升・焼酒一沸を給す。又平得村の藍草を会栽するの時、其の苗を分賦して以て播植を為すも、但々久しく旱魃に遇ふに因り、尽く枯損に及び、再び分賦を行ふ。奈んせん旱魃の後に当り、村民共に求苗の妨を致す。時に同村慶田盛仁屋有り。価米一斗八升五勺五才を受けずして藍苗百三十zを発給し、村民皆栽植するを得て、公布を備弁するの妨無し。且該村の牧牛養馬の地は、原来窄小なるも、亦真栄里村素より其の地有ること無きに因り、其の牛馬を将て同じく該地に牧す。乃ち獣多く地小にして草料敷かず、遂に饑死に及ぶ者多く之れ有り。両村牛馬漸少し、甚だ農業の妨を致す。該慶田盛、村中人等と商議を相行ひ、其の地を築き広むるを呈請す。乃ち十歳より以て六十歳に至るまで共計男夫百五十余人、皆集まりて之れを築くと雖も、而も其の効を見ず。因りて価米九石一斗八升三合三勺三才を受けずして焼酒・神酒等の項を給し、価米四石を受けずして老年二口を発給して以て振励を示す。是を以て村民等志力を相励ますこと六日の間、従新に其の区を築成するもの長さ千六百尋余。擬応に両村の牛馬を将来して漸く繁昌を致し農務の妨無かるべし。且該村に幼くして父母を喪ひ煢々として孤立し、甚だ憐れむべき者有り。村民等相議し、其の人を将て該慶田盛に托し、以て撫養を為さしむ。遵即厚く撫養を行ひ、親生の子に異ならず。其の人の受くる所の貢賦を将て、已に賠納を行ふ。亦其の人、家の棲むべきもの無きに因り、乃ち価米二石を給して屋を買ひ、棲居せしむ。又仲間村は近年困疲し、諸凡の貢賦以て備辧し難し。而して貧家の輩は遂に貢賦を欠するの地に蹈る。時に同村石垣仁屋有り、大米一石一斗三升六合三勺六才を動給して以て償納を為さしむ。且該村に、四五歳の間父母共に喪ひsに托すべき無く、食を乞ひて日を渡る者一名有り。該石垣、己が家に移し来りて厚く撫養を行ひ、以て成立を得しむること親生の子に異ならず。其の受くる所の年貢を将て、額に照して賠納す。且該村前の入江の人を渡すの小舟、已に流失を致して、公用私用を論ぜず甚だ妨碍有り。亦屋良麻原に産米五百束の肥田有り。奈んせん水程相隔つるに因り、之れを荒蕪に置く。該石垣、之れが為に発慮し、資米五斗を動給して匠工を雇ひ来り、亦価米三斗六弁六合六勺を受けずして神酒・小豚等の項を将て該匠等に恵み、小舟二隻を造備せしむ。此れよりの後既に公私の用を弁じ、復耕田の便を得たり。且該村、積年の欠賦已に過多に及び、毎年の貢賦と云ふと雖も、尚償ひ難きに苦しむ。吏役人等、経に物件を発給して以て不足を補ふと雖も、而も多く欠を覚ゆ。該石垣、価米十三石二升三合六勺三才を受けずして布端・烟草等の項を発給し、以て不足を補ふ。且大浦Aは已に大破に就き、以て往来の妨を致す。該石垣、自ら資米三石を発して男夫五十人を雇ひ来り、亦価米三石八斗一升六合六勺五才を受けずして神酒・焼酒・豚・蕃薯等の項を将て該男夫等に恵給し、該橋を築き立て、以て往来を通ず。且該村は、馬一口と云ふと雖も、而も蓄する者在ること無く、僅少の人民を将て夫役を承任し、甚だ労苦を致す。該石垣、馬一口を購買し、村民をして之れを用ひて代り労せしめ、而も其の馬資を収めず。又与那国に、幼くして父母を喪ひsに身を托すべき無き者一名有り。遂に同村宮良仁也に向ひて身を托するを哀請す。随即該宮良、己が家に移し来り、親しく撫養を行ひ、其の受くる所の貢賦を賠納し、亦配を択びて妻を娶らせ、而して方二間の家を造給し炊を分ちて居住せしめ、諸賦を償納すること他人に異ならず。且検使島に到るの後、富家人等の牛馬・米穀を動発して貧家人民に恵給するの処を将て島中に飭示す。遵即該宮良、価米二十石を発して耕牛十一口を購ひ、貧家に分給して以て耕耘に便せしむ。且村民凶年に遇着して、日食欠乏し倉米を拝借するの時、該宮良、大米二石二斗五升を動発して以て急迫を救ふ。又該村、昔日に在りては頗る家富むもの多く、毎年の諸賦完く備辧し得たり。近年以来既に疫癘の災に遇ひ、復、凶歳の殃を受けて、人口大いに減じ、漸く衰微に就く。村民二百五十余人の内百十二人は、家道極乏し、受くるの田多からず、納賦維れ難し。其の五甲曁び村民等、其の天賦を賠納して皆労苦に及ぶ。該宮良、昔日抛荒の田畝を墾開して村中に恵給す。其の産米を計るに一万二千三百二十束なり。亦村民、稲穂有ること無く甚だ妨碍を致す。該宮良、貯種余有り。毎人に一斗一升統計十石二斗六升六合六勺六才を発給し、価を受くるを肯んぜず。是を以て時に及びて稲を栽ゑ、貢賦を全納す。且該村は、昔より以来、毎年十月の問、毎家大米一升をu納して祭品を供備し、各嶽に往き到りて以て村民の安を祈る。此れ旧例に係る。上届卯年、饑饉大いに臻り、村中人等、貢賦を欠し、前項u米の貯無し。該宮良、米穀を動発して毎家に一升を恵給し、全く祭品を具へ、例に照して安をイらしめ、価を受くるを肯んぜず。共計するに、其の人家二百十籍、其の大米一石七斗五升なり。且該村に五家の極貧者有り。該宮良、己が家に移し来りて已に撫養を行ひ、一人は屋を給して炊を分ち、一人は大米一石五斗を将て其の売る所の家屋を贖ひ回し、之れに与へて戸を分ち、一人は其の曾て棲むの屋を将て能く修葺を加ヘ、而して亦価米二石五斗を受けずして以て産米百束の水田を給し、亦価米二石を受けずして以て耕牛一口を給し、戸を分ち炊を分つ。二人は仍家中に在りて以て撫養を致す。意ふに、日後前項の例に照して家を分ち炊を分たんとするならん。且村民の内四名は耕牛を蓄する無く、常に資米を発して人夫を雇ひ来り、意の如く農を修むる能はず、諸般の貢賦以て備辧し難し。該宮良、価米八石を受けずして耕牛四口を将て、一名毎に一口を給し、以て修農の便と為す。且検使島に到るの後、富家人等の牛馬米穀を動発して貧家人民に恵給するの処を将て島中に飭示す。遵即該宮良、価米十一石を発して耕牛六口を購ひ、貧家に分給して以て耕耘に便す。且村民等、凶年に遇着し、日食欠乏して倉米を拝借するの時、該宮良、大米五斗を動発して以て急難を救ふ。且該村、公項を支収するの時、用ふる所の小斤量は、土人の製造に係り、軽重を分ち難くして以て支収の妨を致す。該宮良、自ら価米五斗を発して官斤を買ひ求め、以て村中に給す。大斤量に至るも、亦蠡みて弱に就き、物を称りて維れ謬り、甚だ妨碍有り。故に義銭を動発して其の官庁を寄購するに、尚価の償ひ難き有り。該宮良、自ら大米一石を発して以て其の価に備ふ。今夫れ該平田等五名、村の為に心を留め、多く利益を貽す。伏して乞ふ、褒嘉を酌賜せよ等の由、各住村の百姓等僉呈し、在番・頭目・検見役・吏役等印結を加具して朝廷に禀明す。是れに由りて爵位を賜ひて以て恩典を示す。