[本文2131]【本年、読谷山郡波平村の土民二名・宇座村の土民三名・高志保村の土民二名・喜名村の土民三名・長浜村の土民二名・渡慶次村の土民一名・儀間村の土民一名を褒嘉して各爵位を賜ふ。】読谷山郡高志保村境内の古保多原に、水田二千二百八十坪余有り。昔日、溝洫を決排して水を注ぎ田に入る。故に年大旱に逢ふと雖も、而も水常に満足す。奈んせん該溝洫は険阻傾斜の処に在りて、已に破壊を致すに因り、小旱と云ふと雖も、而も田水涸に就き、或いは大旱に逢へば、則ち稲を栽うる能はず。屡々租米四石七斗余を賠納し、窮簷の百姓甚だ労苦を致す。是を以て下知役・使者より以て郡役に至るまで、其の破処に往き到りて親しく観看を行ふ。皆曰く、該田北方の山籔より、溝渠長さ六十四間横三間六合を開墾すれば、則ち特に田水満足するのみならず、更に新田二百三十坪四分を墾成せん。又其の南方の川面に在りて、土を入れて之れを塞ぐこと長さ三十二間横四間七合なれば、則ち亦新田五十坪四分を墾成し、共計三百八十坪八分。甚だ村中の利益と為らんと。乃ち其の需費を算するに、已に銅銭一万四千貫文の多きに及ぶ。因りて人を投じて銭をuめ、其の需に備へんとす。奈んせん村民等、貢賦と云ふと雖も尚償ひ難きに苦しむ。而も況んや其のu銭に於てをや。実に能くせざる所なり。時に波平村の土民二名・宇座村の土民三名・高志保村の土民二名・喜名村の土民三名・長浜村の土民二名・渡慶次村の土民一名・儀間村の土民一名共に十四名有り。僉自ら資財を捐し、山を墾き川を塞がんことを請ふ。当経に施行するを允准す。該土民等、溝洫を決排し、水を田中に注ぎて新田を墾成し、亦土を以て川を塞ぎ、新田を墾成す。而して其の新田の坪数は前日考ぶる所と比較して、四十七坪余を加増し、永く村中の利益と為る。伏して乞ふ、爵位を賞賜せよ等の由、郡役等僉呈し、田地奉行・両総司・下知役・検者印結を加具して朝廷に禀明す。是れに由りて各爵位を賜ひて以て恩典を示す。