[本文2132]【本年、久米仲里郡地頭代一名・夫地頭二名・首里大屋子一名曁び土民二十三名を褒嘉して各爵位を賜ふ。】久米仲里郡直謝佐於宇井に架す所の木板・墾す所の溝洫は、従前壊に就きて其の水逆流す。是を以て真謝・宇根・宇江城・比屋定・阿嘉・島尻・謝名堂・比嘉等の八村境内の佐於宇原・久保田原・於ト妨原・平田原・古子原・久米原・長麻子原等の七原、産米二百石余を獲る所の水田は、小旱に逢ふと雖も、其の水涸に就き易し。而して平田原の水田は、原、真謝・宇根両村の播苗栽芋の処に係る。乃ち田水涸に就くに因り、農功を施行する能はず。多く改めて旱田と為し、sに不便の処に於て、播苗栽芋し、甚だ望む所を失ふ。幸に地頭代一名・夫地頭両名・首里大屋子一名曁び土民二十三名有り。之れが為に慮を発し能く指揮を行ひ、該堤井に在りて樋を架するもの長さ三間一尺・内面の高さ一丈一尺・外面の高さ一丈二尺五寸。亦木板を設架するもの長さ十一間・横五間なり。亦有る所の水道、前の如く墾開する能はざる者は、sに地を卜して決排す。長さ百八十間なり。故に行ふ所の工作殆んど改造に同じ。又儀間村境内の於武太原に産米八十石余の水田有り。素、泉水の注ぐべき無く、一たび旱魃に逢へば、田水涸に就く。而して其の内産米二十石余の水田は、原来苗を栽うる者なり。却って改めて旱田と為し、sに東加治屋原の水田に在りて、稲苗を栽植す。奈んせん土性宜からざるに因り、乃ち其の苗を将て各田に分栽すれば、則ち獲る所多からず、甚だ望む所を失ふ。該地頭代等、指揮を施行し、于武太原上頭大幾志原の内太次個地方に在りて井を掘り、樋長さ三間・内面の高さ一丈一尺五寸を架し、井板長さ十二間・横五間を架設し、水を貯へて田に注ぐ。時に厥の後より前項の両処の水田、旱魃に逢ふと雖も、而も泉水注入して以て耕耘の便を得。而して日後該於武太原に在りても旧に仍りて栽苗の田に改め為し、亦已に旱田と成すところを将て、漸く墾して水田と為し、永く村中の便と為る等の由、在番曁び島務を査明するの員役等呈称し、両総司印結を加具して朝廷に禀明す。是れに由りて各爵位を賜ひて以て恩典を示す。