[本文2151]【本年、八重山島に異国船一隻飄来し礁を衝きて損壊する有り。】此の年正月六日、夷船一隻有りて、八重山島黒島の属内下離島東洋、岸を離るること約計一千八百歩に飄来し、礁を衝きて損壊す。通船十六人(内、熱ラ人十三名・亜米理幹人二名・華人一名有り)、杉板に転駕して(時に熱ラ人三名は已に淹死を致し、届る所を知らず。後、屍骸の浮来すること有るに因り、即ち埋葬を行ひ、石を立てて碑と為す)揺来し上岸す。随即該島胥役人等、石垣郡属内に在りて、人家相離るるの地をトし、房屋を蓋起して、該夷人をして移り来りて居住せしめ、以て撫養を致す。而して其の船の零板等の項は、九日晩間より以て翌日に至るまで、颶風吹き起るに因り、海洋に飄蕩して跡の見るべき無し。且該夷人等は、衣裳備はらず、以て日を度り難し。乃ち人を按じて白木綿布各一端を頒給し、以て号寒の苦を免かれしむ。三月二十三日、該人の貨を将て、船隻に装gして該島開洋し、四月三日に至り、読谷山郡長浜村洋面に収到し、初五日陸に由りて泊村聖現寺に転送す。即ち白木綿布二十六端・帳子六張・曁び応用の物件を給して、以て保養を致す。更に地方官送給の名を仮りて、唐栄大夫曁び首里通事係等を遣去し、全帖礼単を調備し、羊・鶏・花・菓等の件を将て、交給す。該船頭目、収領し鳴謝して云はく、煩はくは転達を為さんことをと。且再三陳請して云はく、地方官に転詳し宝舟一隻を借給して、及早回国せんと。即ち答ふるに転告施行するを以てし、回来を為す。初六日、問安の名を仮りて、地方官阮孝銓(渡久山親方)を遣はし、唐栄大夫曁び首里通事係等を率同して、聖現寺に到らしむ。相見の礼畢り、該通事をして告げしめて云はく、船一隻を支給す。及早回国せよと。即ち謝を道ひて云はく、多く物件の賜を受け、亦船隻の賜を得たれば、則ち此の恩此の徳戴祝してチれず。茲に希む所は、帯ぶる所の羅経・船文、海中に博クし、支給を行はんことを乞ふ。且貴国船隻は如何にして駕行するやを知らず。乞ふ、教導を致せと。初七日、羅経・船文・船隻等の項を支給す。復、該夷人十名、通事係等と同に浜辺に去到し、本国船人と恊同し、泊港近辺に在りて、転行直駕併びに槓閧操用する等の法を将て、尺く学習を致して回る。初九日、地方官・大夫・通事係等、泊学館に待候し、人を差はして邀請す。即ち熱ラ人両名到来す。該通事係、伝訳して相通じ、行礼畢る。該夷人等、洋字を用つて横抄するの謝単二道を捧げ来り、通事係に交給して云はく、一道は即ち熱ラ人曁び華人、一道は即ち亜人両名、恩徳を歴蒙するを叩謝する者なりと。復元はく、回国の後、貴国厚恤の由を備へて官府に禀告し、永く仁風を著さんと。且船を給するの一款は、其の曾て符照を賜ふの請有るに因り、已に分給を行ひ、復、該夷人をして拠票を投納せしむ。且剃刀・玉鏡及び応用の器物は、需に随ひて支給し、更に早米・番薯・蔬菜・猪・鶏・鶏蛋并びに応用の物件を支給し、以て行程の需に備ふ。四月十四日、開船して回去す。