[本文2153]【本年、与那城郡前任夫地頭池味親雲上曁び人民二十七名を褒嘉して各爵位を賜ふ。】与那城郡与那城村に有る所の水田は、原、是れ僅少にして、都べて天沢に頼りて以て播種を為し、小旱に逢ふと雖も、水涸れ田裂けて禾稲登らず。且つ井川僅少にして用水優ならず、而して遠方より汲み来り、百姓人等力を汲水に奪はれ、以て耕稼の妨を致す。時に前任夫地頭池味親雲上有り、心を尽くし気を着け、各処を巡察し、乃ち加満佐原に泉水の湧出有るを見て、人民二十七名を率同し、自ら資斧を費して、井川を鑿開するもの長さ一丈六尺・横三尺、其の後頭は高さ一丈六尺、其の左右に在りて石を舗き、連を成すもの三尺、長さ横各一丈六尺、其の下面に在りて、煦艪鑿開するもの長さ四間三尺・横三間三尺六寸・深さ六尺、共に石を用ひて築成す。更に其の煦艪謔闍狽決して水を注ぐ。是れに由りて附近の旱田を将て水田に墾成するもの共計二千五百坪。其の産米約一十二石五斗余奇なり。旧租麦穀一石六斗二升五合に比較すれば、一十石八升七合五勺を加増す。且阿字真志原に租米一百三十石余の水田有り。該煦艪離るること約三百九十四間。熕注入し、旱魃に逢ふと雖も水常に満足し、以て時に及びて播種するを得。今其の両項の水田獲る所の産米を合算するに、已に一百四十二石五斗余零に及び、且つ民力の費、多く減省するを得、永く村中の利益と為る。是れに由りて朝廷、各爵位を賜ひて以て褒典を示す。