[本文2158]【本年、勝連郡惣山当嵩元筑登之親雲上曁び村民三十九名を褒嘉し、嵩元を将て越級して座敷位を賜ひ、村民三十九名を将て各一位を賜ふ。】勝連郡内間村は、田畝素より少くして、都べて天沢に頼り、小旱に逢ふと雖も、而も田水涸に就き禾稲登らず、百姓甚だ労苦に及ぶ。時に嵩元有り、意謂へらく、古島原に于て、井を掘り堤を築き水道を堀開して、新に田畝を墾すれば、則ち村中の利益と為らんと。乃ち其の費を計るに、共に四万九千九百貫文余に及び、窮簷の百姓、勢の能くせざる所なり。該嵩元、之れが張本と為り、村民三十九名を率同して、相共に資を損して工を起し、一井を掘り二堤を築きて水道を堀開す。而して附近の地畝に于て、新に水田を掘り、遠く離るるの田畝に于ては、井より水を導き、多く膏沢の潤を受け、毫も旱魃の災無く、永く利益を貽す。是れに由りて朝廷、嵩元を将て越級して座敷位を賜ひ、村民三十九名を将て各一位を賜ひて、以て恩典を示す。