[本文2221]【本年、真和志郡古波蔵村の宮平筑登之親雲上を褒嘉して座敷位に陞す。】真和志郡古波蔵村は、遠く田園を離れ、却つて那覇に近く、挙村の男女傭賈に志して農業に勤めず。且蔗を栽うるの区に至りても、亦閭里に近く、栽うる所の甘蔗多く人に盗伐せられて黒糖の賦を逋るる有り。幸に本村の宮平有りて、之れが為に心を留め、朝命を禀請して、改めて村籍を本地に移す。時に厥の後より村中人等、特に皆傭賈の志を抛つのみならず、善く農産の業に励む。甘蔗に至りても、亦盗苅無くして貢賦を全うす。且本村、先年其の困疲を極め、其の授くの所の地畝を将て、他村に派授するを除くの外、上は諸凡の賦税を滞り、下は許多の私債を負ひ、進退維れ谷まる。当経に該宮平、之れが為に力を尽くし、掟・頭目等と商議し、確に村民に飭して、習俗を改端し農業に励修することを除くの外、衣食・賀事・祭祀に至りても、亦節倹を行ふ。且毎日黎明、田圃に往来するの時、或いは牧草を苅り、或いは柴薪を採り、或いは糞壅を挑ぎて、以て各月に備ふ。是れに由りて村民疲を挽き興に就き、旧に仍りて地を授けて以て耕種を為すを除くの外、既に賦税を納め、復、私債を減ず。又先年疫癘流行の時、単寒下戸は調治するに資無し。該宮平、米銭曁び応用の物件を派給して以て調治に便す。更に兼ぬるに、其の一家疫に染みて調養するに人無きを見れば、即ち自ら飯食を備へ、往きて之れを進む。且其の癘に染みて身故する者一十六名、共に困窮に坐し葬を備ふること能はず。該宮平、銭文を借給して以て送終の礼を全うせしめ、以て利息を免ず。而して其の貧苦已に極まる者は、本銭を収めず。至若、其の痘瘡痲疹の時に当りても、亦資を捐して施恵すること此くの如くならざるは莫し。且凶歳に逢ふ毎に、村の為に心を留め、一切の事情は逐細督理し、更に貧乏者を察して物件を恵給し、挙村人民に自身を鬻売する者一人の在ること無し。但に此れのみならず、該宮平、村の為に籌画して多く利益を貽し、村中人等感服せざるは無し等の由、朝廷に禀明す。是れに由りて該宮平を賞して座敷位に陞せ、以て恩典を示す。