[本文2231]【本年、国頭郡楚洲村の新城筑登之親雲上の孝行を賞して銭文を頒賜す。】国頭郡楚洲村の新城は、孝心甚だ厚し。該城の厳父は、素、東風平郡富盛村の産に係る。幼少の時、美里郡の外祖の家に遷居し、其の養育に頼りて以て過活を為す。其の成長するに及び、国頭郡楚洲村の新城の女を娶り其の贅婿と為りて、該城を生下し、相共に聚首して同居す。一旦夫婦争論し、其の夫怒りて外に出で、跡の探るべき無し。此の時、該城年僅かに七歳。未だ父の恩愛を知らず。其の年長ずるに及び、父の跡を追思し瑳嘆に勝へず。然れども厳父債を負ひ之れが為に催せらるるに因り、乃ち已むを得ず十三歳に及ぶの時、債を償ふ事の為に、身を村家に鬻ぎ、父の跡を探聞するに暇あらず。十六歳に至り、不幸にも母を失ひ、嘆の上に嘆を加へ、愈々父の跡を感じて頃刻も忘れず。因りて謂へらく、若し詰据して身を贖ふこと能はざれば、必ずや父に見ゆるの日無からんと。乃ち主人に奉事し善く使令に供するを除くの外、暇日に逢ふ毎に私職に励勤し、資財を賺得す。而して二十三歳に及び、既に其の身を贖ひ、また房屋を蓋き、以て居住するを得たり。時に厥の後より父の跡を尋ねんと欲し、乃ち四方に巡往し周く探問を為す。幸に佐敷郡同村に寄寓するを聞き、乃ち該処に飛び赴き、父を尋ねて相会す。時に父、再び妻を娶るに因り、亦母子の礼を行ふ。事訖り父母に告げて曰く、吾今聊か家財を賺す。請ふ、父母と回り去き、其の孝養を尽くさんと。即ち父母と同に家廷に帰去し、善く孝養を尽くす。且厳父に跟随して東風平郡に往き、同に先祖を祭る。事訖り親族を召集して、談ずるに怡情を以てす。且該城の厳父、曾て東風平・美里両郡に於て、負ひて私債有り。然れども父意謂へらく、子をして債を償ふの煩を受けしむるは、実に不便なる有りと。乃ち告暁せず。該城、細さに実情を察し、其の債を償還し、父をして安心せしむ。且継母に事へて常に孝養を尽くす。但に此れのみならず、事巨細と無く、行ふに正道を以てし、挙村の人民感心せざるは無し等の由、朝廷に禀明す。是れに由りて其の孝行を嘉して、銭九千六百貫文を賜ひ、以て恩典を示す。