[本文2276]【本年、柔遠駅二門に、石碑を設建す。】柔遠駅二門に、昔、石碑を設建す。今、台石尚在り。然れども其の顛末は公案に記さず。前年申年、海防官、華人等駅館に来到して、事を行ふに善を以てし、弊竇を滋すこと勿きの処を将て、細さに木板に記し、親しく二門に懸けて以て告示を行ふ。此の時、貢使等相議すらく、斯の文を石碑に鐫り刻み、仍旧台に建つれば、則ち華人等之に鑑み之れを畏れ、敢へて碍を致さず。且駅館に于ても、亦甚だ検束の便を得んと。乃ち布政司曁び海防官等の処の掌案と互に商議を加へ、碑を立て文を記す。其の文左に記す。欽加知府銜永春直隷州正堂署福州南台海防分府随帯加五級記録十次、翁、厳禁を出示する事の為に、照得するに、太保鋪に柔遠駅を設立するは、原、遠人を優待し、以て朝廷懐柔の至意を示す為なり。凡そ琉球官伴、省に到りて館駅に安插する有り。閑雑人等、擅に進みて騒擾するを准さざるは、久しく経に禁を示すこと案に在り。嗣いで該駅年久しく修を失するに因り、本分府、大憲を禀奉し籌款して修を興し、現に已に修造完く竣る。誠に附近居民閑雑人等、擅に進みて騒擾するを恐る。土通事・地保に諭飭して随時稽査せしむるを除くの外、合に厳禁を出示するを行ふべし。此れが為に附近居民及び閑雑人等に示仰して知悉せしむ。爾等、得て擅に舘駅に進みて騒擾し、及び窺伺偸窃し、縦に婦女幼孩をして糞草穢物を将て、館内に抛棄せしむる母れ。並びに駅に在りて聚飲し賭搏し、門u墻壁をxし、小孩、毬を桙闡Kを跌して喧嘩ヘ擾する等の事を厳禁す。之れを示すの後より、敢へて故らに違ふが如きは、一に査察を経、或いは指禀せられて、立即に差拿し、府に赴きて重きに従ひ、究弁し、罰して賠修せしむ。黷オ土通事・地保、査管を失すれば、一併に重く究せん。各宜しく凛遵して違ふこと毋るべし。特に示す。同治拾壱年拾月初一日、柔遠駅に給発するの木牌は、満漿実貼して風雨の損壊を致す毋れ。同治十二年十二月貢使(耳目官向徳裕・正議大夫王兼才)朝京都通事蔡大鼎(新存留楊廷鼎・旧存留周兆鱗)qじく損<捐>して建つ。